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紅灯の海さんの『椿姫』舞台感想


私も行ってまいりました。椿姫。ようやく緊張と興奮から解放されてきました。でも、 皆様の感想を読ませていいただくと、いまでも胸がドキドキしてしまいます。私なりのメモリアルとして、感想を書いてみました。

感想といっても芝居そのものについてだけではなく、周辺情報も含めて書いてみました。また、誤って記憶している箇所、勘違いしている箇所もあるかと思いますが、御容赦くださいませ。


今回、「椿姫」が上演されたマリニー劇場は、大統領官邸のエリゼ宮のすぐ隣に位置する小さな円形劇場でした。劇場付近にはエリゼ宮を警護する警官が多数常駐しているため、シャンゼリゼにもほど近いというのに比較的治安は良いようです。

劇場正面には白いドレスの椿姫のイラストが描かれた大きなポスター(垂れ幕?)が2枚、小さめのポスターが2枚、掲示されていました。夜には劇場名と演出家の名前と狐のイラストがネオンで輝きます。

開演前の劇場には、当日券(?)を待っているのかラフな服装の若い人がたくさんおり、また、「チケットを譲ってください」と書いた紙を真剣な面持ちで掲げている人も見かけました。

劇場内に入ると、赤い絨毯、赤いカーテン、赤い扉、赤い座席、そして黒い壁というように赤と黒でコーディネートされた内装です。

客席を囲む円周のロビーには2つのバーがあり、開演前や休憩時間にワインやシャンパン、そしてなぜかアイスを楽しむ人がたくさんいました。

そう、ハーゲンダッツのスティックタイプのアイスクリームが20フランで売られていたのでした。ドレスアップした方々が、若い方もお年を召した方も、男性も女性も関係なくタバコを片手に(パリでは喫煙者を多く目にしました)、美味しそうに食べていました。もちろん、私も、毎回、食べてしまいました。

客席内に入ると案内係のおばさんが何人かおり、頼まなくても案内してくれます。ちなみにチップは10フラン。もちろん、自力で辿りつくことはできるのですが、案内係のおばさんを振り切るにはかなりの努力を要します。また、客席およびロビーでは、パンフレットの売り子がたくさんおり、一部50フランで売っていました。

私は、2回、観てきたのですが、 初回(11月14日火曜日)は最前列で、もう手をのばせば彼女の髪に触れられるほど舞台間近の席でした。但し、前方過ぎて舞台全景を眺める余裕はありませんでしたが。また、ウィークデイということもあり、客席は仕事帰りとおぼしきスーツ姿の紳士淑女が多かったように思います。

2回目(11月18日金曜日)は一階席の左右前後の中央という絶好のロケーションの席でした。舞台観賞には絶好なのですが、しかし、この劇場の座席はピッチが非常に狭く、私の席は左右前後からぎゅうぎゅうと押させているような場所でした。

どれほど狭いかと言いますと、座ったままの小柄な私の前を人が通り過ぎることができないのです。列中央の人が席を立つときには、その右側もしくは左側の人は全員起立して通します。

ところで、この日は週末ということもあり、一階席にはドレスアップしている方が非常に多くいらしてました。中にはモデルさんとおぼしき集団も来ていました。

舞台には赤い緞帳が降りています。舞台の左右の袖にはボックス席が1階に2つと2階に2つで都合4つ。左右の二階の2つのボックスにそれぞれ1人、都合2人の楽士が入り、静かに曲が奏でられ、ほぼ定刻の8時に舞台は始まりました。

始まれば、心配されていた言葉の壁を感じさせないほど、その世界に没入することができました。彼女の立ち居振る舞いのひとつひとつの美しさに圧倒されていたのだと思います。 特に私の心に残っているのが、彼女の髪とドレスです。

腰まで届く流れる黒髪と、黒と紺のベルベットのドレス、白のドレス。その声も、笑顔も、涙も、結局すべてが美しかったのです。

また、共演者とのアンサンブルも見事なものでした。どうしても彼女の華やぎは彼女をアンサンブルの中で良くも悪くも「突出させて」しまうのですが、それを抑えるのではなく、むしろ際立たせているような演出でした。

また、彼女の得意とする2者関係のフェイズでは、嫌みになることなく彼女の独壇場でした。全体の演出として、主人公2人をシリアスに描き、他の登場人物をコミカルに描ており、そのテンポは「粋」なものでした。その現代的な感覚のテンポが、主人公2人のシリアスさを「臭く」させていないのだと思います。

私は、このお芝居のハイライトはこの「新しさ」にあると考えています。美術や衣装そして台詞も、時代を特定できないようになっているのか、シンプルでモダンな印象です。美術は、緞帳が上がると3段の大きな階段状の舞台になっており、それぞれに絵画の額縁のような枠が設けられています。

この枠には時に半透明の白いスクリーンが張られ、心象風景が描かれます。それは、まるでロールシャッハテストの図柄のような抽象模様であったり、椿の花といった具体的な模様であったり、ライトによる色彩だけであったりします。

階段の最上段の奥には扉があり、時折、開かれます。扉の奥は、暗闇であったり、白い光に溢れていたりして、まるで、死への扉であったり、時間の扉であったりするようです。こうした枠やスクリーンや扉をトリック装置にして、舞台の転換がなされます。

それは空間を転換するだけでなく時間をも転換し、時に人の心の中までも転換します。こうした枠の中の枠という入れ子細工の舞台構造やフラッシュ・バックを多用した演出も、多くの舞台で使われている手法でしょうが、この「椿姫」を斬新でモダンな印象にしています。

この「椿姫」は、私は、言葉の壁があって十分に理解しているとは言いにくいですが、それでも様々な批評を受けるほどに「実験的」であることは分かりました。実験的というのは、第一に古典劇の作りではなく、現代的な挑戦がなされていたということです。これは、先にも言ったように、モダンな演出と美術に拠るところが大きいと思います。

また、第二に、その現代的な挑戦の影響を受けて、舞台が全体的に「分かりやすく」「簡潔に」なっていたということです。例えば、この舞台には一人の「狂言回し」が登場しますが、黒澤明監督の「乱」の狂言回しのように、物語を分かりやすく説く役回りです。

この狂言回しは、冒頭は意図的にバラバラにされていた人物の心を、パズルのピースを揃えるように終盤に向けて組み合わせていきます。こうした舞台の「分かりやすさ」は、現代演劇の新たな潮流と言えるようですが、ここがまさに批判の的となることもあるようです。

確かに安易な分かりやすさは、スリルのない漫画のようになってしまうこともあるようですが、この「椿姫」の分かりやすさは、出演者全員の演技力、つきつめて言えば演技と演出の集合であるアンサンブルによって、良い効果を挙げていると、私には思えました。

絢爛であること、重厚であること、難解であること、つまり分かりにくいことが、現代演劇のもう一つの潮流であることを思わずとも、休憩を入れてもわずか2時間30分のこの「椿姫」は、シンプルで、軽やかで、簡潔で、つまりは分かりやすいもので、演劇の、舞台の、醍醐味を十分に伝えてくれるものでした。


最後に、お芝居から少し離れた話題になってしまうのですが、残念だったことがあります。それは、2回目の観客の中に中学生(高校生?)と思われる一団が来ていて、情熱的な愛のシーンや沈黙のシーンでクスクスと小突き合って笑っていたことです。

それはあまりにひどいもので、私のいた1階席の観客が、その3階席に向かって「静かに」と何度も注意したほどでした。ちなみに、私は最初は腹が立ってしょうがありませんでしたが、最後には芝居にのめり込んで、この無礼な一群を無視することができました。

そして、この「注意する」という行動は、日本の劇場では観られないことだとぼんやりと考えていました。日本でも観るお芝居や歌舞伎の公演でも、その規模が大きくなればなるほど同じようなことがありますが(世界中の劇場でありうることなんですね)、みな苦々しい顔をしているだけで誰も注意しませんでしたもの(私も含めて)。これはとても残念なことだと思います。


紅灯の海さん、ありがとうございました。

※転載・コピーは許可しておりません。