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STUDIO 176号掲載
イザベル・アジャニ ロングインタビュー


Isabelle Adjani long Interview [ Japanese translation by Yoichi Takagi ]

STUDIO
:
答えはイエスだった!あなたの映画と役への関わり合いは、今でも『殺意の夏』や『カミーユ・クローデル』の頃と同じだと思われますか?

I.A.
:
ええ、だからって、それで死ぬわけでもないしね

STUDIO
:
どういう事ですか?仕事のせいで死ぬかも知れないと一時期思っていたのですか?

I.A.
:
私は全てを出していましたから。全てを出すって、それでは分からないわね。だってもしも全てを出してしまったら、後に残っているのは誰なのかしら?…
だから私はつらい障害を取り除いて、明解さと自由と慎みを得る必要があったの…
完全に自分をコントロールできなくてもね…
そんな風に知人であったり、私と交流がある、自分が好きなアーティストたちの事を思っていたの、彼らの苦しみ方も凄いから…

私の場合、その症状は破滅的な効果はなくなって、望む力を見つけることが出来たの。こういう苦しみは音楽家の場合は、俳優よりも少ないみたい、だって彼らは尊敬を集めることが出来るから。 本当に才能がある人たちは「演奏」の時、あまりに才能の深みに足を取られていて、つまり自分の才能自身がリスクになって、極限まで行き、時にはその才能さえ発揮出来なくなくなってしまうの、理想とする完璧主義のせいで、真理を求めるあまり敗北させられるからよ… ホロヴィッツは三年間寝たきりだったし、グレン・グールドは晩年の2年間をモントリオールのホテルの部屋で過ごしたわ。

部屋にピアノはあったけど、彼はもう頭の中でしか演奏しなくなっていたのね… でも創造にブレーキをかけて、生み出すことを妨げてしまう苦しみなんかいらないでしょ?生みの苦しみと病気の苦しみとでは全く違うものだから。

STUDIO
:
あなたとロミー・シュナイダーは、感情を偽らないということで、よく比較をされてきましたが…

I.A.
:
私は彼女を個人的に知っていたわけではありません。亡くなる少し前に何度かすれ違ったことがあるだけです。 ロミー・シュナイダーは全く同じ事をしながら、今でも生きて、良い人生を送れていたかも知れません。彼女の人生で全てが変われる時に、この仕事をする手助けを誰かがすることが出来ていたら-でもそれはたぶん遅すぎたことだったのでしょうね。

彼女がとても生き生きと輝いている人だという事を忘れてしまって、あれほど素晴らしかった女優の驚くほどのナイーブさを人は食い物にしてしまったんですから。彼女は自分の苦しみを支えにしているようでした…痛みを自然な状態だって思い込んでいたんじゃないかしら… おそらく亡くなった後ではそれが一番の名誉のような感じですけど、生身でそれを生きている間は、きっと軽蔑されることなんでしょうね。

もし私が彼女と共有したいと思うものがあるとすれば、それは誠実さ、情熱、直感と多くの仕事です。最後にあげた事は私にはとても大切です、だって他の3つの要素だけで、仕事がどうでもいいものなら、空中分解してしまいますから!でも彼女との比較はそこまでにしておきましょう。

STUDIO
:
『椿姫』について、ル・モンド誌であなたは「女優であることは、泉であることだ。」と発言していました。

I.A.
:
私が言いたかったのは、人間的で、寛大であることが、人生の源であり、インスピレーションであり、生きる力だってことよ!(笑)

STUDIO
:
これほど正確ではっきりとした力線がある女優さんは少ないと思います。あなたが演じて来た主要人物、アデルからカミーユ・クローデル、エミリー・ブロンテ、王妃マルゴーから椿姫、そして「アドルフ」のエレノアやラシーヌのフェードルを見てみると、同じ仲間だと思えます。絶対的な愛を求めて恋をしている女性たちですし、彼女たちは皆その途中で不幸、孤独を経験し、死んでしまうものもいます。なぜあなたはこう言った人物を演じてこられたのですか?

I.A.

:
私が馬鹿だから…それに文学好きだからね。(笑)でも心理分析はもうたくさんでしょう?(笑)

STUDIO

:
それにこの女性たちは、大恋愛をしているのですが、彼女たちを演じたお陰で恋愛について勉強になったと思いますか?

I.A.

:
(ニッコリして)思わないわ!だって教えてあげたのは私だもの!
STUDIO

:
女優はしばし他人がしたい事に頼わざる負えないのですが、この制約の中で自分自身の道をどのように開拓することが出来たのですか?

I.A.
:
他人の欲望に頼わざる負えないのは、一人きりで、その一人きりと言うあり方が見捨てられたような、疎外された感じを抱いている時です。まず私は一人ですが、以前にも増してそう思います。

私にとって、今この状態にあることは開放され、無駄なものがなくなって、一貫していて自由な気分です。それが全てを根底から変えた孤独と言う物の私なりの表現ですけど。それに幸福は(正に!)決して一人では来ないものですから。私はもう一人ではないんですね…

自分でもそうとは知らずに探していたパートナーたちが見つかったのですから:ミシェルとローラン・ペタンの二人です。私はずーっとパートナーを持つのが夢だったのです、でもそれがプロデューサーだったとは思ってもみませんでしたけど。むしろ理想的なパートナーは、監督だと考えていました。

ミシェルとローランとなら、演じたい気持ちを昇華させることが出来ましたし、それに自分たちが作りたい、作ろうと言う映画を共に想像し、計画し、作ることが出来るからです。彼らのロゴの意味-”本当の情熱”と言うのは、私の治しがたい性格が書かれているような物ですから。

STUDIO

:
『カミーユ・クローデル』の監督であるブルーノ・ニュイテンとはある種のパートナーシップを持とうとはしなかったのですか?

I.A.
:
あの映画が成功を収めた後、他にも女性を描く映画の計画がいくつかあったのですが、人生がもたらす様々な理由で…結局断念してしまったのです。(沈黙)『カミーユ・クローデル』の封切り後、ブルーノは物凄く落ち込んでしまったんですね。

彼はカメラの後ろからその前へ出てしまった事が我慢できなかったのです、カメラの陰にいれば成功は保証されていたのですから-彼は一流の撮影監督でしたからね、それがずっと冷酷な光の中へさらされてしまったのですから。

それに「俺は監督なのか?」と言う実存主義的な自問をしてしまったのです。あの質問をしてしまったら、この仕事はできなくなってしまうんです。そうじゃないと…無理ですから。彼は他人の意見に頼るようになりました。どうでもいいような意見に。彼が自信をなくして行くのを見るのは耐えがたいものでした。

私はどうしようもない損失感を感じてしまって… 彼の考えは間違っていると、自分を捨ててはだめだと説得したのですが、うまく行きませんでした。自分とは別れないで欲しいと相手を説得している恋愛の時と同じような気分でしたから。ブルーノは才能があるけどその才能に破滅的なまでに苦しめられるタイプなのね。

STUDIO

:
"La repentie"のプロデューサーたちは、あなたは繊細だけど、決して壊れない人だと言っています…

I.A.
:
その通りですね。そうでなければ、もう死んでいるでしょう!それが原因で亡くなったロミー・シュナイダーの事を話題にしましたけど、彼女以外にも残念ながらそれが原因で死んだ人がいると思います。もちろんこんな事では絶対死なない人もいるでしょう、それは感情を生むための繊細さもない人たちな訳ですから。

STUDIO

:
"la repentie"の撮影日記(訳注:題名:Adjani aux pieds nus 著者:Michele Halberstadt/Calmann-Levy刊) で、プロデューサーのミシェル・ペタン(Halberstadtは旧姓)さんは現在の映画、今活躍中の監督であなたが興味引かれるのは、自由さ、あるいはあなたがこれまでに経験しなかった軽快さであると言っていますね。

I.A.
:
そうね。ジャン-ポール・ラプノー、ジャン・ベッケルという監督たちでさえ、時々、重く感じたり、軽く感じたり、しなやかな感じがしたりね…

STUDIO

:
『アデルの恋の物語』の撮影時に、フランソワ・トリュフォー監督があなたに教えた事を時には思い出しませんか?

I.A.
:
ええ、良く思い出します。今はベンジャマン・コンスタン原作の『アドルフ』をブノワ・ジャコー監督と撮っているのですが、私はフランソワの事を思いながら、「幽霊がそこにいるのかな?」ってブノワに言うことがあるんです。

トリュフォーが私に教えてくれたのは、映画監督と言う者は、本当の監督ならば、仕事を全部しろとは言わないだろうってことです。つまり監督は俳優の仕事も共有出来なくてはいけないのですから。自分が撮りたいと思う事をきちんと言葉にして、俳優がしない事も撮影出来なくてはならないんです。

レティシアとブノワは、それぞれ独自のやり方ですが、きちんとそうできるのです、それは彼らが口には出さない偉大な職人たちだからでしょう。私の代わりにやってくれる全ての事に凄く感謝しています。

STUDIO

:
ブノワ・ジャコー監督とはどういう出会いだったのですか?

I.A.

:
ここ数年時々、でもいつも本当に少しなのですが、すれ違うことがあったのです。それで彼が俳優や彼らの顔や声に関して素晴らしい発言をしていると彼に伝えたかったのですが、そう出来ずにいたんですね。

彼の映画狂ぶりと私に凄い”関心”を持ってくれたのが良かったんです。彼はエゴがないように思えるのですが、でも確かな事は、彼が仕事を一緒にする女優とはエゴの衝突がないことです。彼と仕事をするのは本当に、とても素晴らしいことです。

STUDIO

:
アドルフを演じているのはスタニスラス・メラールですね。なぜ特に彼を起用したのですか?

I.A.

:
二人で一緒に話したんですね、一年前ですが、一緒にやれる企画についてです。で彼自身が実生活においてアドルフそのものなんです。俳優になる以前、(彼は何になりたいのか分からないと言っていますが)この映画に必要となる俳優である以前に、彼はその人物なんです。

STUDIO

:
ラシーヌ作の『フェードル』の上演のアイデアは誰が出したのですか?パトリス・シェローですか、それともあなたですか?

I.A.

:
パトリスと私は悲劇が大好きなんです。でも彼も私も悲劇を手がけた事がなかったのですね。パトリスが舞台の仕事をするとは誰も期待していなかったので、(映画のせいで彼は舞台の仕事がなかったのです!)どう演出するのか分からずに舞台の仕事に復帰するのが彼は嬉しいんですね。

矛盾していますけど!素晴らしい手紙を私にくれました、その手紙の中で愛とムチを持って私の側にいてくれると言ってくれました…フェードルは今、流行の演劇的な選択のような気がします。でも私は是非演じてみたいんですね、感傷的な理由なんですが、私の好きな今日では消えてしまった、よそから来た人の話で、フェードルとイポリットの間で交わされる会話は宗教的な意味で、音楽的な強迫観念、ミステリーへと変化しているんです。

彼はラシーヌをバッハと比較したり、俳優ではありませんが、ジーンズのポケットにいつも台本を持っているんです;それが自分が見つけるはずだったお馴染みであると同時に見知らぬ元の言葉でもあるかのように、文章をいくつか暗記しているのです。

彼が覚えている台詞の一部を私が言うことになるのでしょう。シェローは偶然に自分の魂を失ってしまったので苦しんでいましたが、私は彼との出会いを心底、夢のように思っているんです。

STUDIO

最後の舞台から一年経ち、舞台で『椿姫』を演じて見て、どんな教訓を得たと思いますか?

I.A.

あんな難しい状況で仕事するには、体が丈夫でなければ駄目だってことね!休みなしの上演でしたから。凄く孤独でしたけど、チーム意識が強かったので、俳優の間では仲間が出来ました、これまで同じ仕事で関係があった訳ではありませんけど。

STUDIO


毎回の公演で、滅多にない観客たちの熱狂がありましたね…

I.A.


何よりも観客たちの反応が嬉しかったです。不自然なところのない本当の観客たち、退屈な夜の興行を見に来たような人たちではありませんから。私にとって、あんな風に舞台に上がれるのは、危ない目に会っている人に手を差し伸べるような気分なのです、私が助けて、その見返りとして得るものがあります・・ 人類は危険な状態にあると思うの、苦しんだり、傷ついたりしていて…この職業は、私にとって、信仰のそれと同じですから。

償いと回復を信じているんです。あのお芝居を見に来てくれた観客たちを聖体拝領のように思い出すんです。 毎晩舞台に上がる前に私が唱えていた事は、唯一、「私の神様、彼らが見に来てくれた理由を与えられるように助けてください。」ということでした。私は全身全霊で演じていましたから。人類愛から神聖な愛へ変わっていって、ちょっと人間離れした感じでした!

STUDIO

なにが一番大変でしたか?

I.A.


次に舞台の仕事をする時は、あれほど孤独感を感じたくありませんね、共演者たちの事を言っているのではなくて、彼らもきちんと居た訳ですし、彼らなりに孤独を感じていたと思います。でも芝居全体が私の演技にかかって来るのは、ちょっとキツかったです。

STUDIO

しかしこのお芝居で、あなたが久しぶりに、演劇にも復帰されたと言うことに必然的になると思うのですが?

I.A.


ううん、そうとは言えないわ。だってそれは演出、あるいは演出家の問題だもの。共演者たちとも勇気を持って、思慮深く「我慢」したと思う。

公演中は、外野では色々言われていたのね、私に演出の最終決定権があるだの、それに『スター・ウォーズ』も真っ青の”私のカムバック”に関してメディア操作したとかね、手短に言うと…ううん、でも皆、私がこんな事を言っていたんじゃないかって想像をたくましくしていたんじゃないかしら:「舞台には長椅子なんかいらないわよ、三時間立ちっぱなしでいいわ、足が痛くなったって、床にお尻をぶつけても構わないし、セットは遠くから見たら幅が数センチしかないような階段と、質素な木製の背景と滑車が付いた羽根布団のベットで充分ね、ある夜の公演ではゴーカートみたいにそれが動いてしまうんだから…」

さらに付け加えると、噂どおりにこんな想像も出来たんじゃないかしら、大きなねじ回しを手にした私が劇場の最前列の座席を外してしまったとかね。あるいは夜になると巨大なレースのベールを編んで、その後ろにガルボみたいに私が隠れてしまい、観客から凄く離れてお芝居が出来るようにしていたとかね。

私ならやりかねないって思われたんじゃないかしら?狂っているわ!本当に笑い飛ばすのが一番だわ。特に自分たちが持ち合わせていない力を使おうとするおしゃべりな仲介者たちね、仮にマネジメントしているとしても、俳優たちの邪魔をするだけじゃなく、私たちの不利になるよう「トゥ-パリーバビロン」誌のプレスを団結させたりとか。

STUDIO


具体的には誰の事を言っているのですか?

I.A.


ドミニク・セガール風あるいはクロード・ダヴィ風のプレス関係の連中ね、自分たちの個人的な利益追求のために、長い間、嘘のつき放題で、自分たちが可愛がっている人間を含めて、女優、俳優、監督とお構いなしにあらぬ噂を立てて来ているのよ。

STUDIO

シェローに加えて、次回はラプノー監督ともまた仕事をしますね。テシネ監督以外では同じ監督と仕事をするのはこれが二度目ですね…

I.A.


アンドレ・テシネとは、もう前から三作目の構想を練っているのね。他の監督?フランソワ・トリュフォーはファニー・アルダンとうまく恋に落ちて、彼女と素晴らしい映画を二本も撮ったけど、再会出来る前に亡くなってしまったわね。

ロマン・ポランスキーはエマニュエル・セイナーと出会って、彼女を崇めて、彼にとってはそれが本当に良かったのでしょう…クロード・ミレール?『死への逃避行』は大好きだったわ、あれはあれでいいじゃない。

ジャン・ベッケルとセバスチャン・ジャプリゾ(『殺意の夏』の監督と原作者)とは、会えばいつもまた一緒に撮ろうと話しているわ、たぶんバネッサ・パラディと一緒にやるかも。ヴェルナー・ヘルツォークと撮った『ノスフェラトウ』はとても誇らしく思っているのね、それとジェームズ・アイボリーの『カルテット』にも素晴らしい瞬間があるわ、でもあの二人はフランスの女優を必要とすることが滅多にないから。他の監督?私があげなかった人とは一本も撮るべきじゃなかったのよ。

STUDIO


ではリュック・ベッソンは?

I.A.


リュックは映画を撮る時は恋愛をしていないとだめなの、それにこの子は女優なんだって証明したい女性とじゃないとね。だからその点では私は間に合っているわ…

STUDIO


ではズラウスキーは?

I.A.


自分が発見したいと決して思ってもみなかった事を見付け出してくれたのはアンジェイ・ズラススキーの霊的な力のおかげね…『ポゼッション』は実現不能な映画だったの、この映画で私がやったことも不可能だったわ。

でもそれをやってこの映画の中で起こったことは、あまりに高い代償となってしまって… 賞もたくさん、様々な栄誉をもたらしてくれたけど、あんなトラウマはもうたくさん、悪夢でもごめんだわ!それに私は見れないのよ、あの映画を。自分が怖くなってしまうの。

『大切なのは愛すること』(原題:L'important c'est d'aimer)を見る方がいいわ、ロミーが出演しているし、女性の苦しみが剥き出しになっているし、デュトロンも本当に素晴らしいもの。
 
STUDIO


フィルモグラフィーの話題になったので、それを続けましょう…『悪魔のような女』はあなたのアメリカへの野望を変えたのですか?

I.A.


映画に出るためにあの映画に出たのよ、当時の疲労感から精神を脱却しようとしたの。子供が生まれてから3ヶ月後だったかしら。映画としては全然わくわくした訳でもなかったけど、監督のジェレミア・チェチェックが好きだったし、抜け目がなくて、あの企画をすごくフェミニスト的な角度から私に持ちかけて来たのね。

でも撮影初日からその”クリエイティブ”な大胆さはまやかしで、結果的にはむしろ”レトロな感じの作品”になるだろうって分かったの。 私は”無関心”でいたわ。自分の仕事をしただけね、そう”仕事をする”んだって自分に言い聞かせていたの。幸運にも撮影の合間にはトレーラーの中で子供に母乳を飲ませていたのよ。

シャロン・ストーンはメイク係やヘアメイク、スタイリストに栄養士、運転手たちや、マネキュアやペディキュアがどうだ、靴の箱がどうだってヒステリーを起こしていたけど、私は何に関しても全くお構いなしだった!

STUDIO


ここ数年、あなたは自分から積極的にニコル・ガルシア、トニー・マーシャルあるいはオリヴィエ・アサイヤスと言った監督たちに自ら会っていますね。

I.A.


いつも人生を複雑なものにする必要はないでしょ?偶然に頼る必要なんかないの、偶然なんてあるように思えないもの。私は自宅にいる方が 多いし、監督たちも向こうから私に近づいてくれる訳じゃないから。だからお互い「すれ違い」ばかりなのよ。ミシェルが今度出す本の中でその点についても説明しているけど、自分から会いに行ったほうが自然に思えるのよ…

STUDIO


エリック・ゾンカ監督とも企画の話をされたとか…

I.A.


『天使が見た夢』を見た後では、『さよならS』は腹立たしい出来栄えだったわ。困ってしまうのは彼はたくさんの企画があるんですけど、結局誰ともやらないことになってしまうんです。

彼は『俳優年鑑』に出ている女優たち全員に会って、ある女優とはお昼を食べ、別の女優とは夕食を食べたり…・それはそれでいいのですが、エリック・ゾンカは全てに空腹感を感じて、その空腹感に居座ってしまっているんです。

STUDIO


またオドレイ・トトゥや"Chaos"であなたが注目したラシダ・ブラクニ、ヴェベル作の『シラノ』であなたが感激したというマリーナ・ハンズなど他の女優たちへも公に賞賛を惜しみません…

I.A.


全員を良く知っているわけではありませんけど、今上がった女優たちは皆大好きなんです。他にも好きな女優はいます。ジュリー・ガイエやアミラ・カサールは本当に親しい友人ですし、彼女たちは美しくて、才能もあります。シルヴィ・テステュの演技と人柄も好きです。オドレイは本当に 可愛らしくて、妹のような感じです。

アンヌ・スアレズ (『椿姫』で共演、『アドルフ』にも出演) も素晴らしい女優で誰にでも推薦できますね。私のエージェントのドミニク・ベスナールに聞いてもらってもいいですけど、私はなかなかのキャスティング・ディレクターなんですよ。(笑)

STUDIO


俳優では一人あげるとすれば誰ですか?

I.A.


ダニエル・オートイユと親しいので彼とは同じものを背負っている気がします。私にとって彼はフランスで最も偉大な俳優なのです。彼の演技は常に新しくて、台詞を言わない時の表現は他の人には出来ないと思いますね。"La separation"から『橋の上の娘』まで、彼は独自の演技をしていると思います。

STUDIO


キャスティング・ディレクターとしての才能という話をされましたが、"La repentie"に話題を戻して、共演相手にサミー・フレイを選んだのはあなたでしたか?

I.A.


レティシアは神秘的な美しさを持った俳優を探していたんです、これまでの人生を語れて、それでいて捕らえどころのない人物を。誰?誰?それは誰かしら?自分が大好きなサミー・フレイのことを思いました。

彼は特別です。彼に似ている人は…・彼自身しかいませんから!『死への逃避行』で短いシーンがあるんです、彼の役は盲目なんですけどね。 駅のプラットフォームに私と二人でいるんですが、私はブロンドのかつらをしていて、彼はサングラスをかけているんです。私は彼の声に本当にドキドキしてしまうんです、テイク毎に私は赤面してしまって、彼は目が見えない訳ですから私を見つめることはできません!彼に恋愛感情を持っていたと言うわけじゃないのですが、まったくコントロールできないんです。

サミーが持っている電磁波なんですね。私が自分の気持ちを隠す唯一の方法は、『真実』撮影時の彼とバルドーの関係を揶揄することでした。メイクをしてから彼に言うんです「で、サミー、ブリジットとはどうだったの?」って。すると彼はいらだって『一体何の話だい、イザベル?その話なら、もう時効だろう?」って(笑)
 
STUDIO


"La repentie"の撮影では、相変わらず彼の声にドキドキしたのですか?

I.A.


いいえ、彼の才能にはいつも関心しますが、あんな風に自分でもどうしたらいいのか分からないと言う事はありませんでした。

STUDIO


今回の共演相手にはファンも多いサミー・ナセリもいますね…

I.A.


『タクシー』の俳優ね。
STUDIO


あなたの共演者にはちょっと意外な気もしますが、新しい観客たちがあなたを発見することになるのでしょうね。

I.A.


ニースで撮影したときあるエピソードがあるのね。何人もの男性が私の横を通り過ぎて言って、こう言うのが聞えたの。「あの女を見たかい?セクシーだな、悪くないじゃないか…」って。全部聞いていたのよ!私が誰だか分からなかったみたいだけど、私の役のセクシーで挑発的な部分にハッタリをかけられたみたい。(笑)本編を見て気を変えないといいんだけど。でもサミーはタクシーに乗っていなくても素敵な俳優でしょ・・
 
STUDIO


今、あなたが後悔することがあるとしたら、それは何ですか?

I.A.


もう十分、懺悔したと思わない?いいでしょ?でも何か後悔することがあるとすれば、ここ数年間、映画に出演しなくて本当に、本当に、御免なさい、許してもらえるかしら。

STUDIO


この映画のスローガンは『彼女がいなくて寂しい』というものですが、映画に出なくて寂しい思いをされましたか?

I.A.


最後にもう一度言いますが、恋愛のようなものですね…出演しなくて寂しいと自分で思っていない間は何も感じませんでした。寂しいと思えるには、出演したいと言う欲求が必要だったのです。

その気持ちが自分で分かった途端、映画に出なかった寂しさがすぐ、絶対的に肉体的に蘇ったのです…すぐにでも映画に出たいって思いました。でも今では企画がこれだけありますから、当分は私につきあってもらう事になるんじゃないかしら!(笑)★

*End*
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