一家に天才が一人いると残りの兄弟は大変ね
MORE(以下M):
あなたが映画『カミーユ・クローデル』を作ろうと思い立ったのは、彼女について書かれた一冊の本を読んで、「芸術家として、女としての生き方に衝撃を受けたから」と聞いていますが、それ以前の彼女のことは?

Isabelle Adjani:
(以下I.A.)

全然知らなかったわ。むしろカミーユの弟ポール・クローデルの方が有名だから。ポールは才能ある作家で、詩人で、駐日大使も務めた外交官としても知られている。でもカミーユの存在はずーっと長い間、忘れられていたの。というか、隠されていたのね。彫刻家ロダンとの恋と別れ、あの時代(19世紀後半)に女の彫刻家が自分を表現しようとしたために味わわなければならなかった苦痛...そのあげく、30年間も精神病院で生きなければならなかった。一歩も外の世界に出ることなしにね。

M:
そこだけ聞くと悲惨すぎる生涯ですね。

I.A.: そう。でも最近知ったんだけど、『ねじの回転』を書いたイギリスの作家ヘンリー・ジェームスにもアリスという妹がいて、やはり彼女もカミーユのような境遇にあって次第に精神を病んでいったんですって。私が興味を持ったのは、家族の中で男の子に非常に才能がある場合、その姉妹というのはなぜかおかしくなってしまう例が多いってこと。で、家族はそれをひた隠しにしようとする。

M:
どうして女の子のほうがおかしくなってしまうんでしょう。男の子よりも。

I.A.:
時代のせいということもあるでしょうね。男の子のほうを大事にしたというか。

M:
家の中に一人天才が生まれたら、その子が天才であればあるほどほかの兄弟たちが傷つく、と?性差は関係なく今でもそう言えそうですね。

I.A.:
それは言えるでしょうね。私の弟は私より2歳年下なので---オペラ映画『ドン・ジョバンニ』に出てるわ(笑)---彼の場合も、別に私の才能とかキャリアとかを妬んでいたわけじゃないんだろうけど、とにかく長い間、2人とも居心地が悪かったの。今やっと彼自身、アイデンティティを見つけ、仕事もうまくいってるけど。でも、やっと今よ。

M:
ご両親も弟さんよりもあなたの方に頼るという面があったでしょうしね。

I.A.:
そうなの!結局、私がアジャーニ家の長男という立場になってしまったのね。それによって本当の息子である弟が傷ついた。だけど姉弟って本当に不思議ね。カミーユも精神病院に入れられても、死ぬまでポールのことを批判せず、愛情を持ち続けてたし。

M:
「カミーユとポールはもともと双生児だ」というあなたの意見を雑誌で読んだけど。

I.A.:
「ふたりは双生児だったのに、カミーユがどんどんパンク娘になっていき、逆にポールは白いソックスが好きなB.C.B.G.になっていった」でしょ(笑)これって象徴的なたとえだと思わない? あの姉弟が決定的に違う道を歩き出したのは、カミーユがロダンとつき合い始めてからだもの。それまで神のような存在だった姉を中年男にとられてしまったポールが、神に夢中になったのも当然よね。
※B.C.B.G.(ベーセーベージェーLe Bon Chic Bon Genre:「趣味の良い人」の意。フランス社会でもエリートと呼ばれる上流階級を指す)


人生をやり直せるなら私は子供を産まない・・・
M:
残されたカミーユの肖像写真も含め、どうしてもあなたと彼女を比較する意見が多いのですが、共通点、相違点を教えて。

I.A.:
まず一番大きい違いは、カミーユ・クローデルという人は、自分の才能を開花させるために自分から闘わなければならなかった女性だけど、私は自分以外のほかの人が女優としてぼ才能を見つけてくれた、ということかしら。特にこれまでは、傲慢な言い方をすれば「あなたの才能を貸してくれ」という申し込みが絶えることがなかった。だから、自分から頼んだり、売り込んだりしなかったし。でも、今回初めて「これを絶対やりたいんだ!」と自分で積極的に動いたの。もちろんやり方は違うけど、カミーユの気持ちが少しわかったというのかしら...。

M:
そうして成し得た仕事なら、終わった時のカタルシスは違ったでしょうね。

I.A.:
100パーセント満足するのは難しいわ。特に心底やりたかったものの場合、「ああすれば良かった」とかブツブツが残る。でもアーティストというのは決して満足しないものだと思う。そして、それがイコールがっかり、ということでもないの。「100パーセント満足しないことに、自分自身満足している」というか...。何かを作る前、作っている時、作った後。とにかくいつももう少しだ。まだ完全じゃない!」と思っているわけね。カミーユが自分の作品をガンガン壊したけど、あれは狂気でも何でもない。私だって、あの映画を何回、ぶっ壊そうと思ったことか。全部、メチャクチャにね。あの映画を愛しているはずなのに、すごく憎い。しょっちゅう自分の感情が変わってしまうの。

M:
まるで恋愛みたい。(笑)

I.A.:
そうパッションの関係ね。半端じゃない、すごい愛とすごい憎悪が裏表にあって。本当に恋人みたい。

M:
そういえば、この映画を監督したブルーノ・ニュイッテン氏はあなたのかつての恋人だけど、今は別れているわけですね。普通、ひとつの愛が終わった時は、すべての関係がなくなることが多いと思うけど、あなたと彼はどうして" レスペクト" を残せたの?

I.A.:
確かに憎しみ合うわね、普通、男と女の関係が終わる時は。でも、私たちの場合は、一緒にいた時の愛というものがあまりにも激しかったのね。すごく幸せで、すごく不幸せ。で、男と女としては顔も見たくない時期もあったけど、ふたりとも映画の世界にいるから、お互いの才能を認めないわけにはいかない。「あの人は本当は大したことないのよ」と自分に嘘をつくほどの図々しさもないし。それに、私たちは息子(バルナベ)のパパとママなわけ。だからお互いがバルナベをどのくらいの視線で見ているか、彼とどのように接するか、いつも意識しているから、それが今のふたりを繋ぐ橋になっていると思うわ。きっとこれからも。

M:
子供、で思い出しましたが、カミーユがロダンの子を妊娠して堕ろす。もしあの時、彼女が産もうと決意していたら、彼女の人生は変わったと思いますか?

I.A.:
女としての生殖能力はほとんどの女性が持っているわけね。でも、その能力はカミーユにとっては子供を作ることじゃなくて、彫刻を作り出すことだった。「子供を産む」よりも「彫刻を産む」人だったんだと思う。彼女はロダンへの愛のために子供が欲しかったんだけど、彼女の生涯は子供で表される種類のものじゃない。そりゃあ子供がいたとしたら、何か変わったかもしれない。子育てもひとつの創作と言えるかしら。でも、それゆえにまた別の悲劇がおこったんじゃないかしら。

M:
子供がいることが即、魂の安定にはつながらない、と?

I.A.:
そうね、そんなに単純なものじゃないと思う。今、私の女友達の中に、結婚しないで子供を欲しがっている人がいるけれど、その彼女が迷っていて、私のアドバイスを求めてきたら、それも相手の男が子供を望んでいなくて、女性のほうだけが「私は産みたいんだけど、どうしよう」と言うんだったら、私は「絶対に産むな!」とアドバイスするわ。
なぜなら、私には子供がいるけれど、もしもう一度、自分の人生をやり直すことができるとしたら、たぶん私は産まないだろうと、と思うから。


M:
!?

I.A.:
ショックだったかしら。(笑)でも、これが私の正直な感情なの。もちろんちゃんと女優もやりたいし、子供もほしい。両方できるにこしたことはないけれど、やはり女優として、または何かを作っている人にとっては、子供を持つというのは大変だと思うのね。だから.......。




私にとっての年齢は仕事につける注釈だわ
M:
そこまで突きつめて考えているというのは、カミーユにとって彫刻が「職業」ではなく「宿命」であったように、あなたにとっても演じることがそのまま「生きること」につながっているんでしょうね。

I.A.:
女優であることは確かに自分の人生だと思う。ところが、あまりにもそれが重大ですべてであるために、時々ワーッと投げ出したくなるの。お金はもらえる。いい生活も名誉も得られる。でも孤独がずっとつきまとうの。誰かにいつも取り囲まれていても、孤独は常に、それも完璧に存在するのよ。スポットライトを浴びることやカメラに捉えられることが、まるで何かに憑かれたようにもう病みつきになっているくせに、寂しい。

M:
いったいどんな孤独なの?

I.A.:
すぐに答えは出ないし、ちっとも論理的に説明できないけど.....私は女優としていろんな役を演じ、生きるわけでしょう。で、スタッフや周りの人が「大丈夫だよ、すごくいいよ」とか言ってくれる。それはそれでいいの。でも責任はすべて自分で負わなければならない。死にたくなるほどの緊張感だって、誰にも代わってもらえない。当たり前のことなのに、そう考えると寂しくなる。孤独で押しつぶされそうになるわ。そしてこれは、女優であると同時に女でもある、というバランスが崩れた時に最悪になるのよ。息子の世話をして、自分が幸福と思える愛情関係を誰かとシェアしなければならないし、家に欠けている物の買い出しもしなけりゃならないし。このバランスを保つのは難しいわ。

M:
あなたの意外な素顔ですね。

I.A.:
もちろん、私はとても頑固よ。抵抗もする。簡単に他人の言うことを聞いたりしないで、納得いくまで闘う。仕事の上でも、私生活でも。でも、いつもバンバン強いんじゃなくて、何かによって脆くポーンと崩れてしまうことがあるの。もうとてつもなく落ち込んだりね。だから最近、心理セラピーも受け始めたのよ。そのおかげで、物事をポジティブに見ることができるようになった。自分を見つめ、最開拓する手助けになってきているわ。

M:
セラピーを受けた直接のきっかけは何だったんですか?

I.A.:
父の死、ね。私たち父娘って、父が生きていた頃はとてもいい関係だったの。父が私にアドバイスや元気を与えてくれて。その父が亡くなってからは、なんだかバランスを崩しっぱなしになっちゃって、で.....。

M:
お母様は?

I.A.:
正直に言うと、私はずっと母よりも父のほうに近かったの。カミーユと母親の関係もそうだけど、ある種の女同士の嫉妬って、母と娘の関係に一番顕著に現れると思う。とにかく娘が生まれた時から、母親にとって娘は敵なんじゃないかしら。私の母も、私には一度も言ったことはないけれど、やはり私が生まれてから、苦しみというか葛藤はあったと思うわ。これはもちろん無意識だと思うし、意地悪な気持ちなんてこれっぽっちもなかったでしょうけど、私が小さかった頃、母は私を音楽教室に入れて、少し経つと今度はダンス教室に、とコロコロ変わったことがあったの。それは、母が少女時代、やりたくてもやれなかったことを私に習わせる、という図式だったはずなのに、私がやれダンスだ音楽だと夢中になると、今度はそれを見ているのがつらくなったんじゃないかな。
でもそれは小さいときの話で、今は娘としての私を誇りに思ってくれると信じてるわ。


M:
お父様が亡くなった後、お父様の故郷アルジェリアに出向いて、人権擁護のデモに参加した直接のきっかけは何でした?

I.A.:
ある日、テレビを見ていたら、少年がいじめられていたの。いじめているのも、いじめられている子もアルジェリア人同士で、過去にフランス人はアルジェリア人をそうやっていじめてきたけど。なんでアルジェリア人が同胞をいじめなきゃならないのか、と。いつの間にか涙が出るくらい傷ついたの。で。「私に一体、何ができるだろう?」と考えたの。
次の日もあまりにもその事件がショックだったから、アルジェリアで何が起こっているのかを調べてみたのね。すると、あるユニセフみたいな組織が、翌日、現地に視察に行くというので、私も即、行くことに決めたの。


M:
ということは、あなたはアルジェリアに行ってどうなるかわからないけど「とにかく何かしなきゃ。行ってみなくちゃ」というだけで行動を起こしたんですね。

I.A.:
ええ、そうよ。俳優や一応名声がある人たちというのは、わりとひとつのきっかけを作ることが簡単にできるのね。で、その後は誰かが続けてやってくれるから、今は何かきっかけを作ることこそが大切だ、と思ったの。でもあの時は本当に、まず私の心が私の体をあそこに行かせようとしたのよ。フランスとアルジェリアの関係っていまだに解決されていない非常に重い問題なの。ただ、私はアルジェリア戦争中に生まれた「最後の世代」の子で、忘れようと思えばそれでいいんだけど、父がアルジェリア人なので、テレビを見た時に何かを感じてしまったんだと思うわ。


年をとるのは怖くない。
でも普通一般の人たちの時計の針とどんどんズレていくのは怖いわ

M:
若い頃よりもむしろ行動範囲が広くなったあなたにとって、年齢ってどういう意味があるんでしょうね。

I.A.:
私にとっての年齢は、私の仕事に対する「注釈(キャプション)」ね。12歳で初めて映画に出て、16歳でプロとして働き始め、結局。私の場合、物事が起きてから「あれは○歳だった」と思い返す感じ。女優としての年齢というか。
年をとっていくことへの恐れはないわ。ただ、女優ってある時期、ドッと仕事をやっている時はすべてを忘れるわけで、仕事での時間の経過と自分の本当に生きている時間の経過がズレてしまうのね。夢中で仕事をしている時間が長ければ長いほど、自分の時計の針の速さと、普通一般の人たちの時計の針とがどんどん離れていく、それが怖いわ。

M:
時計の針のズレ、ですか?

I.A.:
たとえば、30歳の時にも、自分が20歳だと思い込める。また、34歳になった今、私は40歳よ、とも思える。つまり仕事をしている時は、時計の針をどっちにも動かせる。
でも、ある日、突然、仕事が終わった時などに「結局、私って何をしていたんだろう?」という恐怖、自分への問いかけが生まれるの。そして、自分がまだ経験していないこと「一回はちゃんと結婚してみたいな、とか(笑)」を無性にやってみたくなる。ひと言で言ってしまえば、18歳の時から、私は普通の人の時計を持っていない、ということね。時の観念もなくなってしまったし......。
というわけで、私ね、女優を一生の仕事だと思っていないの。女優というのは年を重ねるごとに、中年女を演じて、熟女を演じて、おばあさんを演じる、となるんだけど、私は今、全然、そういう気持ちはないの。

M:
でも、本当に演じることをやめられるかしら?こんなに情熱的なあなたなのに。

I.A.:
ええ。いつか私に勇気が出てきたらね。(笑)「もうこれでおしまいよ!」と言えると思うわ。




インタビューを終えて MORE編集部
「先に行動ありき」とは彼女を指して言うのだろうか。映画の中で、ロダンからもらった大理石を早く彫ってみたくて、まるで「チャップリンかバスター・キートンのように」家路を急ぐカミーユの姿が、少し前かがみで歩く彼女自身とダブる。「理不尽なことには断固抵抗する」アジャーニの態度をけむったいと思う人もいたのだろう。あるいはフランス人からはいまだに差別されるアルジェリア人を父に持つという背景があるのか、2年前魔女狩りのように巻き起こった「アジャーニはエイズ」説。自らテレビで否定会見をしなければならないほどの大騒ぎだったのに、「あの時はみんな恐怖にとらわれていたのね」とむしろ寛大だ。女性が子供を持つこと、女優であることの孤独、母親との関係.....etc。
「そこまで言う」の率直さで語ってくれた彼女だからこそ「一生、女優を続けるわ」とイージーには言わない。が、何しろ先に行動ありき、の女性だ。これからも内なる情熱に正直に生きてくれるに違いない。

インタビューアー:佐藤友紀
MORE 1990年1月号掲載




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